「大統領はイスラエル首相がこの挑戦的な態度のツケを支払うことになると言い切った」
ベングリオンから再びワシントンへの派手に演出された公式訪問の機会を求めてきたが、ケネディははねつけた。
これによって、ベングリオンは自分の立場を明確にした。彼はケネディの態度を非協力的とみなし、それはユダヤ国家の存続にとっての全面的な脅威であるとの確信を強めた。JFKは「ユダヤ人の敵」と認識された。
ケネディへの最後に近い書簡のなかで、ベングリオンはこう書いている。
「大統領、わが国民は生存権を有しております。…そして、その存続が危険にさらされています」。
ベングリオンがケネディにイスラエルとの安全保障条約に調印するように求めたのはこの時だった。ケネディは拒絶した。
1963年6月16日、ベングリオンは突然、首相と国防相を辞任した。こうして「火の預言者」はイスラエルの大立者としての15年の政治生活を終えた。イスラエルのメディア―さらには世界中のメディア―が、ベングリオンの突然の辞任はイスラエルを揺さぶった国内の政治スキャンダルと混乱が原因だと報じた。
しかし、ベングリオンが権力を放棄した最大の理由は、JFKに圧力をかけてイスラエルの要求に応えさせることができなかったことだった。ハーシュは書いている。
「イスラエル国民は、ベングリオンの失脚に別の要因があること、すなわち核兵器をめぐってケネディとの決裂が深まっていたことなど知るよしもなかった」
ベングリオンは失敗した。対決にも負けた。しかし、二人の男のあいだの戦争の勝敗はまだ決していなかった。
後継者に政府を引き渡したとき、ベングリオンはどんな思いでいたのだろうか。
「わが国民は生存権を有しております。そして、その存続が危険にさらされています」というジョン・F・ケネディへの明解なコメントから、それを推測することができる。
ベングリオンの目には、ケネディは明らかに現代の「ハマン」、ユダヤ人の敵だった。ユダヤの民間伝承に登場するハマンは、ペルシアのアハスエロス(クセルクセス)王の宰相として仕えたアマレクの子孫で、帝国内のすべてのユダヤ人を永久に抹殺すべきだと王を説得しようとした。
しかし、伝説によれば、エステルという美しいユダヤ人の妖婦がアハスエロス王を誘惑し、最後に死に追い込まれたのはハマンのほうだった。重要なユダヤの祝日プリムは、ハマンのもくろんだ虐殺からユダヤ人が救われたことを祝福する日である。
旧約聖書の申命記25章19節やサムエル記上15章8節で、古代ヘブライ人はハマンの先祖である「アマレクの記憶をぬぐい去る」ように促される。
1963年のイスラエルで、ダウ゛ィド・ベングリオンはジョン・F・ケネディを間違いなくアマレクの子孫、現代のハマンとみなしていた。JFKとの激しい対立を考えるとき、ベングリオンはプリムの日に読まれる『黙想録』の言葉を思い出したことだろう。
『邪悪な男、アマレクの種である傲慢な子孫が、われわれに対して立ち上がった。金の力を使う横柄な男は自分のための墓穴を掘り、その尊大さが彼を罠にかけた。心のなかでは罠にかけることを考えていたが、捕えられたのは彼自身だった。彼は滅ぼそうとしたが、すみやかに滅ぼされたのは彼のほうだった。彼は絞首台を作ったが、そこに吊されたのは彼自身だった。』
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